インド極貧農村児童支援事業
A, 縫製トレーニング事業
毎年、2回は現地を訪問して事業の進捗状況とプロジェクトの指導を行っています。今回も11月11日にスタッフが訪問しました。
今年度5月から13~18歳程度の女子を対象とした縫製トレーニングを計画し、ラフ―ルナガール村で縫製ができる女性2人(リタさんとルービさん)を先生として教室を開いています。はたしてうまく授業が進んでいるか、心配しつつの訪問です。
先生には訪問のことを知らせていませんでした。訪問があることを知らせると、その日に合わせて生徒をたくさん集めて繕うからです。教育支援や職業支援を海外の団体が行う場合、往々にして、視察日に合わせて授業をしたり、普段は休んでいる子どもを呼び集めるという「ツクロイ授業」をすることがあります。そのために突然の訪問をしました。
縫製の授業をする部屋を提供してくれているリタ先生に家に朝9時に行くと、4人の生徒が縫製トレーニングを受けていました。参加人数は少ないのですが、とにかく授業が行われているという事に安堵です。人数が4人しかいないことを先生に聞くと、この時期は稲の収穫期で、稲刈りに忙しいとのことです。確かに村のあちこちで家族総出で稲刈りをしていました。
安堵したもう1つのことは、先生がしっかりと出席簿をつけているということです。この村の小学校の出席簿はほとんど偽装である(だいたい先生が授業をしていないのに、出席簿には全員出席となっている場合が多い)のに、リタ先生が正確に出席簿をつけていたというのには驚きました。
出席簿によれば5月22日より縫製トレーニングが始まりました。初日には10人が参加しました。授業は日曜日以外の週6日8~10時の2時間です。田植えやお祭りなどで人数の増減はありますが、述べ19人の縫製トレーニング参加者がいて年齢は12歳~22歳となっています。そのうち平均8人ほどが休みなく出席している模様です。縫製の先生は、今まで教えるということをしたことがなかったのに、授業に対して意欲がみられました。また生徒も学校に通ったこともない子が多く、学校に通うよりも縫製教室のほうが時間が通いやすく、実益にかなうと考えて親も通わせているようです。
現在、使用している2台のミシンは先生の私物なので、先生が生徒にあまり使わせたがらないということが分かりました。それゆえに子ども達はミシンを使う前の型紙を作るというトレーニングを主にさせられているようです。新聞紙とはさみで型紙を作る事がしっかりとできなければいけませんから、それはそれでいいのですが、さすがにそればかりでは意欲の低下も招きますので、今回、2台のミシンの購入を決めました。また、ミシンだけではなく、手縫いの技術も向上など、トレーニングの質を上げる工夫も必要です。
B, マンゴー植林による農村開発
マンゴーの苗木を村内に提供して育てるという計画は初めて3年目を迎えます。今までに約20家族に苗木を配布しましたが、育て続けている家庭は4軒程度になってしまいました。育てるのを放棄した残りの16家庭は、水やりをせずに枯らせた、垣根をしっかりしなかったので牛等に食べられたというのが理由です。この村ではマンゴーの木を植えるのに土地が適していないのではなく、マンゴーを育てる意味、将来像が描けないことが意欲の低下を招いているようです。そんな中でもマンゴーが3メートルぐらいまで育っている家がありました。あと2年もすると実を付けだすので、それを見た村人はもう少しマンゴー栽培に関心をむけるかもしれません。気の長い事業です。
今年の5月にはさらに意欲のある家庭を探すべく、栽培意欲のありそうな女性に300個のマンゴーの苗木を栽培することを仕事として提案し、彼女はポットに300個のマンゴ―の種を植えました。そのほとんどから芽が出たという事は確認していました。
その後の生育状況を確認するために彼女の家に赴くと、なんと写真のように苗木が12本しか育っていませんでした。それは9月以降の乾季のために枯れたからだそうです。どこまでそれを信用していいいのか分かりませんが、たしかにポット栽培の場合、頻繁な水やりが必要ですから、それを怠ったということでしょうか。本人は言いませんでしたが、牛に芽を食べられたのもあるかもしれません。
もし乾燥が主な原因なら、ポット栽培でなく、地植えすることが必要です。その為には土地が必要ですが、それも含めて来年3月の訪問で再度、マンゴー栽培のプロジェクトを練り直したいと思います。
南アジアの人身売買から少女を救う事業
前回の報告でインドのムンバイでの人身売買の現状と救援団体を視察し、インドの貧困の縮図がここにあるということをお伝えしました。現在支援しているブッタガヤの極貧農村などから少女が人身売買の被害者になっているという現実の為、当団体では少女の救出活動にも力を入れたいということをお伝えしましたが、まだ援助には至っておりません。
しかし支援対象予定の団体が保護した少女達を元の村に帰すことが出来ているかどうかを確認したかったため、今回も視察してきました。
今回、以前にインタビューした少女ラジナを追いました。彼女は2年前(15歳)にレスキューファンデーションにより売春宿から救出され、1年間ムンバイ郊外の保護センターで暮らし、コルカタにあるサンラップという団体(コルカタの売春街で売春婦の子どもを主な対象に教育を行う団体)の支援にて村に帰ろうとしましたが、父親がそれを拒否しました。しかし、この団体の父親への説得で1か月後には家族のもとに一旦帰ることが出来ました。
ところが、しばらくすると、彼女は売春宿が彼女を本当に強制的に働かせたかどうかの裁判を受ける身ということ、また裁判所の保護下にあるという理由から、裁判所が彼女を裁判が結審する間は彼女を政府関係の保護施設に入れることになり、家族の住む村から2駅離れた場所にある保護施設に送られました。人身売買を逃れたインド人の少女はたいてい、このような状況におかれるということです。保護下には半年程度置かれるとのこと。ですからすぐ家族のもとに帰れるわけではありません。この保護下での生活はあまり楽しいものではなく、今回、保護施設で面会したラジナは早く家に帰りたいと泣いていました。
しかし彼女の場合、家族が昔のように彼女を受け入れてくれるようですから、それだけでも幸いと考えています。なお、彼女の家の祖父は自宅で服を作る仕事をしているとのこと。彼女はムンバイ郊外のレスキューファンデーション運営の保護センターで縫製のトレーニングを受けていたということで、祖父が彼女に縫製の仕事を手伝わせたいと考えているそうです。期待されているということは良いことでしょう。彼女のお世話をしたコルカタの団体サンラップは彼女が村に帰る時、ミシンをプレゼントする計画を我々に教えてくれました。彼女が知ったら大喜びするでしょうし、将来を開く道具になるかもしれません。
ムンバイで救出されたとしても、そのあとのサポートがあるのかどうか、レスキューファンデーションという団体の活動を懸念していた我々ですが、今回は他の団体と連携してサポートしていることを確認できました。