平成28年度上半期 活動報告(国内)

東日本大震災支援活動

「歌声ひろば」開催

定期的に宮城県南三陸町の仮設住宅を回り、高齢者を対象に歌による心のリハビリ「歌声ひろば」と子供達に遊びの機会を提供する「子ども縁日」を開催してきました。今回3月にボランティアと当会代表が現地を訪問しました。今回16回目の訪問となります。

南三陸町、韮の浜地区のお年寄りとボランティアと代表。
南三陸町、韮の浜地区のお年寄りとボランティアと代表。

4月の南三陸町。
4月の南三陸町。
歌広場の様子。
歌広場の様子。

 2011年の東日本大震災から5年が経ちました。半年前より運ばれてきた土砂が増えたように感じますが、あいかわらずの風景です。現在の南三陸町の写真で二か所、ビルが建っているのが映っていますが、それは新たに建設されたものではなく、解体がまだされていない被災したビルです。

子ども縁日の様子。春休み中の子ども達が遊びに来てくれました。
子ども縁日の様子。春休み中の子ども達が遊びに来てくれました。

3日間で5か所の仮設住宅を回りました。今回訪問した仮設住宅の住民の約5割程度がすでに建設された災害公営住宅、あるいは個人住宅に転居したため、「歌声ひろば」に以前参加していた高齢者の顔が見えない場合が多々ありました。

 南三陸町の各地区の災害公営住宅は3月時点でほぼ完成しており、夏までには移動してもらう予定でいるようですが、公営住宅では家賃が発生する為、家賃を支払うことが出来ない独居老人が取り残されている現状があります。また平屋の仮設住宅と違ってマンション型の公営住宅は住民同士のコミュニケーションが取りづらい環境になります。「歌声ひろば」「子ども縁日」はこういった環境で高齢者や子育て世代のふれあいのきっかけになれると考えています。

 訪問した地区のうち、仮設住宅から全員個人住宅に転居した地区もありました。韮の浜地区と寄木地区はわかめの養殖と加工で生計を立てています。それゆえにすでに家族ぐるみで仕事をしていることもあり、収入の当てがあることから、ローンを組んで個人住宅を建設しました。なお、この地区には立派な集会所があり、その初めての利用を我々仏教子ども救援基金が「歌声ひろば」として行いました。

韮の浜地区の集会場。
韮の浜地区の集会場。
韮の浜地区の港。
韮の浜地区の港。

 しかしこうした例はまだ2~3割ほどだと言います。未だ復興がままならず、様々な困難を抱えながらも、被災地の方々は支えあいながらたくましく生活しています。今後とも定期的に訪問して、被災地の方々に寄り添い、応援していきたいと思っております。

歌津地区に出来た災害公営住宅。
歌津地区に出来た災害公営住宅。
支援者の方より、災害公営住宅に引っ越しする方々にカーテンが贈られました。引っ越しするにあたって仮設住宅のカーテン、照明器具などは持っていくことが出来ないため、大変な負担になっていました。
支援者の方より、災害公営住宅に引っ越しする方々にカーテンが贈られました。引っ越しするにあたって仮設住宅のカーテン、照明器具などは持っていくことが出来ないため、大変な負担になっていました。

熊本地震調査報告

 4月に起った熊本県での地震について4月25日~27日に現地に調査に入りました。東北地震では被災地が都市部から遠く離れて海岸部への道がほぼ寸断されていたという状況と違い、被災地が都市部に近いということと、東北の経験からか、行政や民間食品企業も被災地への食糧支援が迅速でしたし、津波で車をほぼ無くした東北とは違い、車は使えましたから避難者もスーパーやコンビニに車で買い物に行くこともできました。

益城町の避難所。
益城町の避難所。

 そのため地震から5日目には避難所にも食料が届き始めましたから、仏教子ども救援基金では東北地震の際に行った避難所への食糧支援は行いませんでした。

 

 ただし、住宅が半数倒壊した益城町や御船町、南阿蘇町では仮設住宅を約2000戸ほど建設することになり、6月から入居が始まりました。倒壊した家の多くには高齢者のみが居住していたこともあり、仮設住宅での生活が東北と同じように不便なものになるのは予測されます。

 仏教救援基金では東北の仮設住宅の集会所を使い、大きな声を出せない仮設住宅の高齢者と歌を一緒に歌う「歌声ひろば」を開催しておりますが、熊本の被災地 で建設される仮設住宅で同様の活動の可能性を探ります。また同時に仮設住宅にいる子ども達への「子ども縁日」も検討をします。