インド支援活動
ブッタガヤ郊外の貧困農村の教育支援
約100世帯で構成されるラフールナガール村で、日本人による特別授業を6月と9月に行ないました。今回は6月のレポートを記載いたします。特別授業の講師は65才の僧侶の方で、定年退職後のボランティアとして10日の滞在で授業をしました。授業は図工・理科・地理でした。1日目にはメンコの製作と遊び方の講習。紙の工作などしたことのない子どもたちには新鮮であり、メンコのような道具を使った遊びも初めての体験で、子ども達は1年生から6年生まで夢中でした。これまた大騒ぎで、講師がもみくちゃにされながらの屋外授業でした。
ただし手本を示した後で、紙コップを配ろうとしたところ、集まった親たちが我先にと紙コップを奪い取り、家に持ち帰ってしまいました。スタッフはあわてて「お母さん、紙コップ返して」と叫びましたが効果はなく、紙コップがすべて無くなってしまったために授業は終了。次回に持ち越ししました。子どもたちは唖然とした様子でした。
3日目には世界地図でインドと日本がどこにあるか等の授業を通訳を交えて行ないました。教室は電気がなくうす暗いので、授業は外で行ないましたが、普段の授業と違って、子ども達の目はかがやいていました。また、今回は生徒分のノートを学校に寄贈しました。
なお今回の訪問で、学校の井戸が壊れて使えないことが分かりました。喉が乾くと子ども達が自宅まで水を飲みに帰るため、授業の放棄にもつながります。そこで現在、井戸を掘り直して、ポンプを設置する準備をしています。
インドの公立小学校の問題
3日間の授業では約75人の子どもが集まりました。現在、この村で学校に登録されている子どもは86人なので、ほぼ全生徒が授業に参加したと思われます。ちなみに、この特別授業の後に行なわれたインド人教師による通常授業には30人しか出席しませんでした。
なお、この日ではありませんが、別の用事で平日に村を訪れた際に学校に立ち寄っても、授業が行なわれていない場合が多く見受けられます。原因は先生が来ないとのこと。
この事を校長に聞いても、ちゃんとカリキュラムに沿って授業をしているというばかりです。昨年に子どもの出席簿を見せてもらったところ、年間150日ほど授業が行なわれているという記載でしたが、実際は先生が休んでいる日も子どもを出席扱いにしていないかどうか疑念があります。
どちらにしろ、政府からの教師への給料が半年から1年も遅れていることによる教師の意欲低下と、教師の授業が適切に行なわれているかどうかのチェックも全くなされていないという教育行政の不備が、このような問題につながるのでしょう。そのため裕福で教育熱心な家庭は、私立の小学校に子どもを通わせていますが、この傾向は貧しい家の子どもをさらに貧しくさせる連鎖を生みだすのでしょう。
仏教子ども救援基金では、この教師の問題にどう取り組むかを、現在検討中です。
マンゴーの村づくり事業
村の住人は近くの町に住む地主のもとで小作人として働いて生活しているため、自分で農作物を生産して販売するという事をしてきませんでした。そのために生活は一向に良くならず、また、子ども達もそのような生活をするしかないという思いから教育にも無関心です。その気持ちを変えるために、村の人に数本のマンゴを自らの庭先や近くの空き地で栽培してもらい、収穫物を市場で売ってもらうことにしました。
収穫までには7年以上かかりますが、私たちはマンゴの苗を与えるのではなく、預けて栽培をしてもらう対価として年2回の栽培手当を支払うことにしました。7年後にはマンゴを乾燥させて日本で販売し、その売上げをまた現地の農業支援に充てる気の長い計画です。
ラフールナガール村は約117戸数あります。マンゴの苗はそのうちの小学生がいる家庭を中心に配布中です。学校の校長先生は村人がマンゴーを育てられるわけがないと否定的ですが、そのような環境の村だからこそ試みる価値があると考えます。本当に貧しく、小作で生計を立てて生きている村が自助努力によって、豊かになるということは困難を伴うがゆえに、支援団体の援助から漏れてしまうというのが悲しい現実です。
上記の家にもマンゴの苗木を植えましたが、すぐに牛に食べられてしまいましたので、牛を近づけないように注意して、再度、苗木を渡しました。未来のための投資という発想がない村人に、長期にわたる管理責任を意識させるところから、このプロジェクトは始まるのです。