この度、(社)仏教子ども救援基金は埼玉県の大円寺様の協力のもと、12回目の支援を致しました。
多くの団体が現地への支援活動を終了してしまうなか、今後とも交流を深め、定期的に被災地の皆様を元気づける活動を続けていきたいと思います。ご支援、ご協力の程、宜しくお願い致します。
7月29日~8月1日に南三陸町を訪問しました。今回で訪問は12度目になります。今回は代表、ボランティア計4名で活動致しました。
被災して2年4ヶ月になる南三陸町。一年前に比べて瓦礫はずいぶんと除去されました。港もすこしずつ形を整え始めています。しかしあまりにも整備が広範囲にわたること、漁港周辺の整備計画が住民、行政、商工業者の思惑の食い違い等で進んでいないのが現状です。行政主導で反対を押し切って計画を立てることは、のちにしこりを作るため難しいようです。また、南三陸町の湾岸の工事にたずさわる重機等が絶対的に不足しているのか、あちらにポツリこちらにぽつりと仕事をしているような感があります。
南三陸町の港に中で最も大きな志津川漁港の湾岸工事はそれでも着々と進んでいる様子ですが、その他の中小漁港はまだまだという様子です。しかし漁民の方はそれぞれの港に漁船を停泊させて、漁を再開させています。ただ、加工施設が建設されていないため、魚がさばききれなくなるので、漁獲量は震災以前には到底及びもしないということです。それでも毎日仕事があるということは、有り難いことと漁民の方々は話していました。
ここで問題なのは高齢者です。60代までの方は男女問わず、漁や海産物加工やその他の震災復旧事業等の仕事で気持ちに張りが出てこられましたが、震 災以前 は元気であればいくつになっても、何らかの仕事があった方が、仕事をすることもなくなり、仮設住宅にこもるという現状が見受けられます。
そのために行政は朝から体操を仮設前で自治会長をリーダーとして行なわせたり。また、民間諸団体がときどき、仮設を訪問して、高齢者相手にお茶会や手芸教室やその他の娯楽を提供しています。しかし、震災当初はほぼ毎日、諸団体が高齢者向けの娯楽を提供していましたが、震災から2年と半年が過ぎた現在では、大きな仮設住宅でさえ、月に3~4程度の訪問となっています。
仏教子ども救援基金は年に1~2度の訪問ですが、昨年訪問した仮設住宅の方はしっかりと前回のことを覚えていて下さり、昨年以上に打ち解けて、歌を一緒に歌われていました。
歌の後のお茶会での話では、仮設住宅は隣とベニヤ板一枚でしきられているようなものだから、テレビの音量にも気を使い、話声にも気を使うそうです。どうしても大きな声で歌いたいときは、ユニットバスの中でお湯を出しながら叫ぶという方もいました。また、やはり震災の時の話が出てきては、涙を浮かべながら、苦労話に花が咲きました。「よくよく遠くから何度も来て下さり、ありがたいです。私も負けてはいられません」という方の言葉に、やはり長く訪問を継続しなくてはという気持ちです。
今回は南三陸町の仮設住宅のうち、前回訪問した6か所を再訪問し、新しく1か所を追加しました。老人施設を回り歌のリハビリ活動をしておられる横田さんを講師として回りますので、どうしても1日に2か所が限界です。また予算や体力的にも4日が限界です。そのために広範囲に仮設住宅をまわることはできませんから、同じ仮設住宅を再訪することになりました。また再訪の方がお年寄りの方の方も緊張することなく、歌や茶会に参加いただけることから、利点が多いと考えています。
仮設住宅の中では横田氏が集まったお年寄りと「歌声広場」を開きました。「故郷」「われは海の子」や「北国の春」などを大きな字幕を見ながら歌い、最後はタンバリンやカスタネットを使い、リズムをとりながら「365歩のマーチ」などを合唱しました。最初は堅い表情だったお年寄りも、横田氏の柔和な語りや懐かしい歌にリラックスしたようで、最後は楽しい笑い声が響きました。「2年前は故郷や海の子などは悲しすぎて歌えなかったけれど、今は歌えるようになった」などというお話がありました。
また、歌広場での外では、仮設住宅で夏休み中の子ども達の為にシャボン玉飛ばしとロケット風船で遊んでもらいました。
仏教子ども救援基金
代表 二神 成尊
平成25年8月20日